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【味岡伸太郎展 富士山麓20景之内十五】
2017年11月3日(金)-26日(日)
初日11月3日には櫻井拓さんをお迎えして
味岡さんとのトークセッションを行いました。
沢山の方にご来廊頂き、ありがとうございました。
2017年の熱い夏が始まった。土との関係が始まったのも、1990年の熱い夏だった。
「富士山麓・上九一色村(現、南都留郡富士河口湖町)豊茂。その牧草地の草を剥ぎ、20m×6mの土を露出する。その中に60cm×17m深さ1mの溝を掘る。掘り出した土をふるいにかけ、石をサイズごとに選別して山にする。自然の大きさと強さと量に、うっかりするとくじけてしまう単調で体にこたえる時間が果てしなく続いた後に、土や石のサイズが違う5つの山が残った。我々が毎日足にする大地の見えない姿を教え、自我を捨て自然の在り方に身をまかせ、ひたすら行為することで自づと導かれる姿を確認する作業である。行為の終了した翌日の未明、富士の裾野から昇る日の出を受け、刻々変わる富士の色をバックにたたずむ、富士の火山灰や溶岩で出来上がった5つの山。これも、まぎれもなく富士の一つの姿であった。(富士山麓地質調査/1990年8月25日)」
あれから、すでに27年。土との関係も深まり、再び、富士山麓に土を求めた。今回のプランは富士を右に見て一周、露出した地層から、一地区、天地左右、約45cmピッチで3行3列、計9種の土を採取し、約160x180cmの綿布にドローイングする。
東京と愛知県豊橋市で同時に発表する。その中間点の象徴的な場所として、富士を選ぶことに時間は必要なかった。おおよそ山麓の一合目を目安に一周し、工事や自然の崩落、浸蝕で露出した地層を探して採取する。
27年前の豊茂にも再び訪れた。辺り一面牧草地で土は露出していない。富士の一合目は牧草地も山林も皆富士に向かってなだらかな傾斜地である。土の採取出来るところはほとんどない。それは、自然がのこり、破壊が進んでいないということでもあり、古くに開け安定した土地ということでもある。
なんとか、豊茂でも採取した。その他、20地点で採取することができた。富士山の周辺は、当然とはいえ、富士の噴出物が堆積したものである。その多くは濃い茶色から黒である、色の変化は少ない。そのことは、27年前の「富士山麓地質調査」の経験で分かっていた。その通りの土が採取された。
地層を選ぶことはない。採取可能な地層があれば、迷わず採取する。色彩は描くことによって生まれ、実体を持つものである。実体を持つ色が大地に広がっているのではない。土そのものの色調が豊かならば、目はそちらを見がちである。しかし、その変化が些少であれば、かえって目は描く行為に向かうだろう。
20地点で20作品。内、東京に近い地点で採取した土による5点が東京、残り15点を愛知県豊橋市で展示する。土を求めて彷徨った五日間、右手に見えるはずの富士は一度も姿をみせなかった。これから始まるドローイングの日々は、私もこの夏、初めて見る豊かな富士となるだろう。
(富士山麓20景/2017年8月6日)
東京展 同時開催中 http://www.redandblue.jp/
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